中学受験を再考する

中学受験再考① 「本末転倒の中学受験 – 手段と目的を見誤る受験生・親・塾」

みなさんこんにちは、ひろ(@rethink-chuju)です。

前回の記事では、中学受験を再考する必要性について書きました。(まだ読んでいない方はまずはこちら↓を読んでみて下さいね。)

というわけで今回からは、

  1. 具体的にどういう点を再考すべきか
  2. その再考すべき点に対してどう対応すべきか

の2つにフォーカスをあてて書いていきます。

それではいってみましょう!

形骸化する「受験勉強」

これまで18年程指導していますが、教え始めのタイミングで必ず聞くことがあります。

これから一緒に勉強していくわけだけどさ、そもそもの話なんだけど、『なんで勉強してるんだい

この言葉に対する返答は三者三様です。でも、勉強に対して主体的に取り組むことができず、成績がいまいち伸びない子の大半は次のような返答が続きます。

受験のためです。

「勉強は好きじゃないの?」

「あんまり好きじゃないですね。というか、嫌いです。

「え、じゃあ、なんで中学受験して私立(or国公立)の中学に行きたいの?」

あとが楽だからです。

「ん?あと?大学ってこと?」

「そうです、今やっとけば大学附属なら中学受験で受かればもう勉強しなくても良いじゃないですか。」

これ、普通に感じるかもしれないけど、けっこう異常な状態であることに気付きますか?

これが異常な状態であることを明確に認識するために、ちょっと別のことに例えてみましょう。

今の中学受験を野球や恋愛に例えると。

野球に例えると…

たとえば、野球をやっている子に同じ質問をしたとしましょう。

「なんで野球をやってるの?」

「強豪校に行くためです」

「野球は好きじゃない?」

「嫌いです」

「え、じゃあなんで強豪校行くの?」

「あとが楽じゃないですか。強豪校ならドラフトで指名されやすいし。」

恋愛に例えると…

たとえば、恋愛をしている子に同じ質問をしたとしましょう。

「なんでその子と付き合っているの?」

「プロポーズするためです」

「え、その子のこと好きじゃないの?」

「嫌いです」

「え、じゃあなんでプロポーズするの?」

「結婚したら後が楽じゃないですか」

やっぱり変だよ、中学受験。

もし上記のようなことを言っていたとしたら、明らかに違和感を感じますよね。こんな状態だったら、野球を続けさせる親もいなければ、この状態の恋愛を応援する親もいないでしょう。ほとんどの場合、野球を好きだから野球をしているし、相手が好きだから恋愛をしているわけです。

なのに、勉強に関しては「嫌いなのにやる」「嫌いだけど私立の中学や大学(=勉強をより深く、より良い環境で学べる場所)に行くためにやる」という異常がなぜか許容されている。というより、それを当たり前のように感じている受験生も親が多い。ここに大きな問題があるわけです

手段と目的を見誤る受験生・親・塾

上述の例からも分かるように、「強豪校にいくという目的」のための「手段としての野球」、「プロポーズという目的」のための「手段としての恋愛」なんてナンセンスすぎるわけです。野球や恋愛は好きだからするわけで、その好きなことをすること自体が目的なわけです。だから、どんどんとのめり込んで、自分の頭で自発的に考えて、その過程で喜怒哀楽といった感情を経験し、その多種多様な経験を通して成長していける。そしてその先に、野球なら強豪校やドラフトやプロ野球選手があり、恋愛ならプロポーズや結婚や家族としての生活があるわけです。もちろんこの場合、まわりの大人が「野球しなさい」「あの子を好きになりなさい」なんて言う必要はわけです。

でも、今の中学受験界隈では「勉強が好き」という感覚が不在のまま、「受験という目的」のための「手段としての勉強」というナンセンスさを受験生・親・塾の3者で追及している。この「3者で追及している」というのが本当に救いようがないわけです。誰も異常を異常と見抜けず、その異常を通常と解釈してしまい、その中を進んでいくのだから。

「手段としての野球」や、「手段としての恋愛」がつまらないように、「手段としての勉強」はつまらなく、それにどんどんとのめり込んで、自分の頭で考えて、喜怒哀楽といった感情を経験し、そういった経験を通して成長できる余地ももはや皆無となってしまいます。

総じて言えば、今の中学受験の世界において、受験生も親も塾も、全員が目的と手段を大きく見誤ってしまっていて、その結果として子どもの成長機会を大きく損失してしまっているわけです

「中学受験のための勉強」の矛盾と影響。

この見誤りの結果、「勉強は嫌い」だけど「受験のために勉強をする」という本末転倒の状態で突き進むことになります

そんな本末転倒の中ではもちろん身が入らないし、自分事にし切れないし、他のことを犠牲にする意義も見いだせない。そんな矛盾だらけの状況の中で、「どうやって合格するか」を塾も親も考えてくれるもんだから、子どももなんか良く分からないけど頑張って応えようとする。でも矛盾だらけだからやはりやる気がちゃんと出ない。

すると、塾の先生にも親にも「やる気あるの?」とか言われる。「嫌い」の中で「やらなきゃ」と思いながら戦っているときにこの言葉で子供の心はすごく折れます。そしてより嫌いになる。どんどん勉強が嫌いになってどんどん怒られてどんどんやる気もそがれていく。それでも「やらなきゃ」と奮い立たそうとするけど、削がれたやる気の中で勉強は手に着かず、途方に暮れて悶々としていると、追い打ちをかけるようにまた怒られる。こんな悪循環が生まれるわけです

子どもとしては結果が伴わないだけでなく、塾の先生だけでなくこれまで圧倒的な味方だった親までもがどんどん敵に見えてきてつらくなっていく。味方がいなく感じて、人生で初めての疎外感を感じ始める

親としては本当に大切に育ててきた子との仲が中学受験を機に亀裂が入りだし、投げ出したくもなる。でも子供の将来のために頑張ろうとする。でも子供は全然勉強してくれなくてまた言ってしまう。

こうやって、両者にとってどんどんとつらい状況が加速していくわけです。(しかも、親も子も真面目であればあるほど、この状況は深刻化しがちです。)そこで声を大にして言いたい。

こんな状況、本当に求めていますか?」

再考①「受験のための勉強」から「好きだから学ぶ」への転換をしよう。

もちろん、だれも求めていないわけです。親も子も。

だから、こういう状況をつくらないため・改善するための再考が必要なわけです

「受験のための勉強」というナンセンスから脱却しよう。

上記のような「本末転倒から生まれる悪循環」をつくらないための対応策として必要なのは、本末転倒の根本から変えること、すなわち、「手段としての勉強」をやめることです

より具体的に言えば、「受験のための勉強」という勉強=手段の状態から脱却して、「好きだから学ぶ」という勉強=目的という状態へと転換させることです。野球や恋愛と同様に、「学ぶことが好きだからやる」、「学ぶこと自体を目的にする」ということです。

この転換によって、本末転倒というナンセンスは排除され、日々の学びも今後の人生に繋がる本質的な学びへと昇華していきます。そしてその結果として(あくまで結果として)、難関校・最難関校までの道程へと図らずも繋がっていきます。

イチローの言葉

そういえば、イチローも言っていました。

努力を努力だと思っている時点で、好きでやってる奴には勝てない

そう、「好き」によって努力を努力ではなくして熱中できる状況にすることこれが大事なんです。

子どもがゲームをするときは、時間を忘れて熱中していますよね。学ぶこともその状態にすることが大切。実際、難関校・最難関校に進む子は学ぶことがゲーム状態です。そしてそのための仕組みが周りの大人の手助けもあってできあがっている。

「受験のための勉強」をして、そのために好きなことを我慢して努力するのではなく、「学ぶことが好き」な状態で毎日好きなことをやっていく。学ぶことが楽しいから自分の欲求を満たすために勉強して、その勉強の質をより高めてくれる中学を自分で選び、そこに進学する。そのための過程として受験をする。

こんな風に、「学ぶこと自体を目的」にするという意識を持つことが親子ともに必要です。この状態への転換を目指していきましょう。

じゃあ、そのためにはどうしたらいいのか。それについては、次の記事で見ていきましょう。

ではでは、また次回の記事で。読んで下さってありがとうございました。

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ひろ@中学受験再考